社長通信(Never Ending Story) vol.20
みなさん、こんにちは!
本日も【社長通信】をお届け♪
~泥中の蓮~
みなさんの身近に
いつもニコニコしていて
笑顔を絶やさない人はいませんか?
会社、家族、友人、お客さま、
パートナーズさん、
はたまた通勤途中で会う駅員さん、
よく行くコンビニの店員さん…
せっかくなので
具体的にその人たちの顔を
思い浮かべてみましょう。
それにしても彼は、また彼女は、
なぜいつもニコニコ笑顔なんでしょうか?
「どうせ悩みもなにもない
お気楽な人生なんだろう」
「こっちは大変なのに…
人の気も知らないでよく笑っていられるな」…
ちょっと僻んだ見方をすれば、
もしかしたらこんな印象を受ける人も
いるかも知れません。
でも本当にそうでしょうか?
もしかして
「自分だけが大変で、自分だけが頑張っている」
なんて思っていませんか。
今朝通勤中にすれ違った人たちの中にも、
家族の悩みを抱えている人もいるでしょう。
また健康に不安を感じている人も
いるかもしれません。
借金で頭を抱えている人もきっといたはずです。
誰もがいろいろなものを抱えながら生きています。
何もない人生などありえません。
年令を重ねるほどに
守るべきものや責任も増えていくように
私は感じています。
いまに比べれば
「20代はなんてお気楽だったのか!」
と感じる人は少なくないのではないでしょうか。
生きるということは、
決して生やさしいものではありません。
自分ひとり生きていくだけでも、
けっこう大変です。
だから「自分だけが大変」
と思っている人がいるなら
きっとそれは間違いで、
純粋にまだまだいろいろな経験が
足りていないだけだと思います。
年令を重ね、
誰もが自分と同じように
いろいろなものを抱えながら生きている。
そのことがわかるようになると、
自然と人にも優しくなれるのかも知れません。
過去に辛い経験を乗り越えてきた人ほど、
ほんとうの意味で人に優しくなれるはずです。
また生きることの大変さが
身にしみてわかっている人ほど、
相手への応援の意味も込めて
笑顔を心がけているのではないでしょうか。
きれいに咲く花には、
自然にチョウやミツバチが集まってきます。
花々は彼らが集まってきてくれるお陰で、
未来に命を繋ぐことができます。
おもしろいのは、
きれいに咲く花自身は
自分が咲いている姿を
見られないということです。
不思議ですよね。
人の笑顔も同じではないでしょうか?
人は自分の笑顔を自分の目で直接
見ることができません。
そう考えると笑顔とは
誰のためにあるのでしょう。
笑顔とあいさつは人生のパスポート。
また「笑う門には福来たる」とも言います。
しかめ面の人には誰も寄ってきません
(貧乏神に好かれたい人は別ですが)し、
素敵な笑顔の人は素敵なご縁に恵まれます。
きれいに咲く花と同じで
自然なことだと思いませんか?
いつも思うことは
人に恵まれる人生こそが
最幸の人生であるということです。
物やお金といったものは、
しょせん周りの人たちが
結果的にもたらしてくれるものでしかありません。
逆に物やお金ばかりを見ている人からは、
自然に人が離れていきます。
そういう人が仮に望み通りに
物やお金を手にすることがあっても、
あくまで一時的なものでしかありません。
悪銭身につかず。
時間とともにやがて失われていきます。
人も物もお金も…
すべてを失ってはじめて気づく苦しみは、
いったいどれほどのものでしょうか。
目先の表面的な物事に囚われたり惑わされたりすると、
その先に待っている未来が見えなくなってしまいます。
かんじんなものは目に見えません。
「蓮は泥より出て、泥に染まらず」
という言葉があります。
蓮は透き通った水ではなく
むしろ濁った泥水の中でこそ、
きれいな大輪の花を咲かせます。
人間も同じです。
厳しい現実や苦しい経験が泥です。
その中で、頂いた命やご縁に感謝しつつ
懸命に生きる人の咲顔は、
きっと輝いて見えるのではないでしょうか。
身近にいるニコニコ笑顔の人には、
いつも咲顔でいようと決めさせた何かがあるはずです。
「気楽な人」で済ませないで、
その染み入るような笑顔の向こうにあるものを、
ちょっとだけ考えてみませんか?
今週も幸せの種を蒔きましょう。
私たちの周りにいてくれる大切な人が幸せであり続けるように。
To be continued…