社長通信(Never Ending Story) vol.91

  • 社長通信

みなさん、こんにちは!
本日も【社長通信】をお届け♪

~辛いときを乗り越えるための心構え~

生きていると本当に色んなことが起こりますね。
「俺がいったい何をした?」
「なぜ私がこんな目に合わなければいけないのか?」
人生では時として
理不尽に思える出来事が起こるものです。
そんな時、みなさんは心の支えにできるものを
どれくらいお持ちですか?
今日は中国の古典『淮南子(えなんじ)』に記された
「人間万事塞翁が馬」という言葉を
ご紹介してみましょう。
学校の教科書にも載っているお話なので
ご存じの方も多いと思います。
こんなお話です。

その昔、ある砦におじいさんが住んでいました。
そのおじいさんには
とてもかわいがっている愛馬がいました。
ある時、その馬が逃げ出して
隣の国へ行ってしまいました。
周囲の友人たちは
おじいさんを気の毒に思いましたが、
おじいさんは「どうして不幸なことがあろうか。
これはいつか幸運となるかもしれない」と答えます。

数カ月後、
逃げた馬は素晴らしいパートナーといっしょに
砦に戻ってきました。
おじいさんの言う通り、
幸運な出来事が起こったのです。
周囲の友人たちは口々に
「良かったね!」と言いましたが、
おじいさんは浮かない顔で
「これがどうして幸運であろうか。
今度は不運の元になるかもしれない」と言うのです。

しばらくするとその家は
馬が増えて豊かになりました。
ところがある時、おじいさんの息子が落馬をして、
脚に大きな怪我を負ってしまいました。
友人たちは同情して
「かわいそうに」と声をかけますが、
おじいさんは「これがどうして不幸なことだろうか。
今度は幸運を呼ぶかもしれない」と口にします。

それから1年後、
隣の国が大群を率いて砦に攻め込んできて
大きな戦争が起こりました。
砦の若者たちはほぼ全てが戦死してしまいましたが、
脚を折っていたおじいさんの息子は
兵役を免れることができて無事でした…

というお話です。

つまり、一見幸運に見えるような出来事があっても
それが本当に幸運とは限らないし、
逆に一見不幸に思えるような出来事があっても
それが本当に不幸であるかはわからない、
という意味です。
禍福はあざなえる縄の如し。
私たち人間はどうしても目先の現実について
自分都合で良し悪しを判断しがちです。
しかし、神様の視点から見てみればどうでしょうか。
良いときもそうでないときも、
眼の前の出来事に一喜一憂せず、
感謝の心で今日を精一杯に生きていく以外に
ないと思いますがみなさんいかがでしょうか?

今週も当たり前のことに感謝しながら、
末広がりの明るい未来を見据えて、
2度とない「いま・ここ・わたし」を
大切に生きましょう。この1週間の先に、
あなたはどんな未来を描いていますか?
明日のために今日、幸せの種を蒔こう。

To be continued…