社長通信(Never Ending Story) vol.27

  • 社長通信

みなさん、こんにちは!
本日も【社長通信】をお届け♪

~与えるものが、受けとるもの~

みなさん
天国と地獄のうどんの話はご存知ですね。
これは「布施」や「利他」を説いた
例え話です。
これまでの人生で、
いったいどれだけのうどんを
受け取ってきましたか?
そして、与えてくることができたでしょうか?
今週はお馴染みのうどん話を
少し掘り下げて一緒に考えてみましょう。

会社説明会でも
毎回必ずこの話をした上で
「うどんとはなにか?」を考える
ワークを行っています。
家族、友人、学校の先生、職場の同僚、
お客さま、パートナーズさん、学生さん…
これまでたくさんのうどんを与えてもらって
今の私があります。
説明会で出会う学生さんから
挙がったものの一部をご紹介してみます。

親から 
誕生日プレゼント、毎日の夕ご飯、愛情

友人から 
困ったときに相談に乗ってくれたこと、
一緒に過ごす楽しい時間

つい先日、
親から与えられたうどんで
「命」と答えてくれた学生がいました。
これまで何年もこの質問をしてきて
初めての答えで、
私自身ハッとさせられた瞬間でもあります。
人はいま目の前にあるものには気づかないで、
ないものばかりに目が行くものです。
探してみるともっともっとたくさん
出てくるかもしれませんね。
みなさんはいかがですか。

では逆に、
自分が与えてきたうどんはどうでしょうか?

正直なところ
最近の自分自身を振り返ってみると、
なかなかパッと思い浮かばない現実があります。
みなさんはどうでしょうか。
うどんも様々です。
今年の2月に発生したトルコ地震は、
内陸の直下型地震では過去最大級
(阪神淡路大震災の22倍の規模)だったそうで、
5万人以上の方が亡くなられたとのことです。
当社からもトルコ大使館宛に
募金をさせてもらいました
(僅かではありますが)。
確かにこのような場合の
お金や物はうどんかもしれませんが、
際限なく与えることも叶いません。

もう少し身近で、
いつでも、また誰にでも
与えることができるものもあります。
笑顔やありがとうはその代表例ですね。
言葉に出来ずとも、
優しい眼差しを向けるだけでも
それはうどんです。
手を差し伸べることもうどんなら、
思いやりのある優しい言葉で
語りかけるのもうどんです。
相手に寄り添って共感することも、
また、運転中に道を譲ることも
うどんでしょう。

うどんの話は「布施」や「利他」を
説いた例え話ですが、
お釈迦様によると大切なことが
3つあるそうです。
それは、
「与える人」も、
「与えるものや行為」も、
「受け取る人」も
それぞれがキレイであることです。

まず与える人は見返りを期待せず、
また恩着せがましくもならず、
サラリと自然に与えること。
与える側に自我が入っていると、
もうそれはすでに布施ではないそうです。
これは親が子に注ぐ愛情が一番近いでしょうか。
「いま世話をすれば
老後の面倒を見てくれるだろう」と
ソロバンを弾きながら子育てをする親は
いないでしょう。
自分が我慢してでも子に尽くして、
それでいて嬉しいのが親心です。

次に与えるものや行為自体が
キレイであること。
いくら金品を与えても、
不正な手段で得たものであるならば、
それは布施ではありません。
与えるものや行為自体が
清らかでなければいけないそうです。

最後は受け取る人です。
好きとか嫌いとか、多いとか少ないとか、
受け取る人に貪りの心があると
せっかくの善意も汚れてしまいます。
へりくだることもなく、
奢ることもなく、
そして当たり前とも思わず、
無心で感謝して
受け取ることが肝心だということです。

与えることも、そして受け取ることも、
なかなか簡単ではないですね。
そんなことを考えながら
今日も一日精進しましょう。

今週も幸せの種を蒔きましょう。
私たちの周りにいてくれる大切な人が
幸せであり続けますように。

To be continued…