社長通信(Never Ending Story) vol.17

  • 社長通信

みなさん、こんにちは!
本日も【社長通信】をお届け♪

~三方よし~

伊藤忠、丸紅、東レ、東洋紡、高島屋、
西川産業、ワコール、ヤンマー、西武グループ、
住友財閥…創業450年を誇る老舗から、
日本を代表する大手総合商社まで。

先週の社長通信でもご紹介した通り、
これらの企業は創業の地が滋賀県、
もしくは創業者が滋賀県出身の会社です。
滋賀県は明治維新前までは
「近江国」と呼ばれていました。
中世から近代にかけて
滋賀県を中心に日本全国で活躍した商人を
近江商人と言います。

改めて、
なぜ近江商人は
これほどまでに有名になったのでしょうか。
いろいろな説が唱えられているようですが、
やはり「三方よし」を筆頭とする
その思想や行動哲学に
理由があるのではないでしょうか。

三方よしとは、
「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」
というように、
関わるすべての人が笑顔になる商いをしよう
という意味です。
現代で考えれば、
売り手とは会社や従業員であり、
買い手とはお客様であり、
世間とは国家や地域社会のことを意味します。
商売である以上、
売り手よし、買い手よしは当然のことで、
それにプラスで社会に貢献できてこそ、
という考え方です。

具体的には、
壊れた橋を掛けかえたり、
寺社仏閣に寄進したり、
飢饉で荒廃した農地の復旧を支援したり…
といった、
いまで言う公共事業へ大きな貢献をした
という記録がいくつも残っています。

似たような意味でCSR
(Corporate Social Responsibility:
企業の社会的責任)
という言葉があります。
また最近ではSDGs
(Sustainable Development Goals)も
注目されています。
しかし、近江商人からすれば、
これらの横文字が話題になる遥か以前から、
企業活動が社会に対して責任を追っている
というのは当たり前の感覚だったのかも
知れません。

ではなぜ近江商人は、
時代の変化に左右されない、
普遍的で素晴らしい思想や行動哲学を
持つに至ったのでしょうか?
ここから先は私の個人的な見解です。
「近江の千両天秤」という
ことばがあるそうですが、
典型的な近江商人は天秤棒を担いで
全国を歩く行商人でした。
(新卒組の皆さんは新人研修初日に
映画『てんびんの詩』を見た記憶があるでしょう)

行商ですがから、
仕入れ→売る→そのお金でまた仕入れ→売る→
そのお金でまた仕入れ→…を
ずーっと繰り返しながら
日本各地を歩いて回るわけです。
例えば、
滋賀で麻布を仕入れて愛知で売り、
愛知で八丁味噌を仕入れて静岡で売り、
静岡で塩を仕入れて東京で売り、
東京で人形焼を仕入れて…という具合です。

このように近江商人は、
現地のお客さんから見れば馴染みのない
「よそ者」でした。
つまり信用がありません。
行商人ですから、
もし買った後になにか不具合があっても
クレームも言えません。
またスマホもネットもない時代ですから
口コミも調べることもできません。
お客様から見たら
「よそ者」に過ぎない自分たちを
どう信用してもらうか?
近江商人は頭を悩ませたことでしょう。

その結果たどり着いた答えが
「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」
という三方よしの精神だったのではないでしょうか。
先に上げた公共事業のような
社会貢献≒世間よしを取り組んでいった結果、
「単なるよそ者」が
地域のみんなから愛され応援される
「近江商人」というブランドに
変わっていったのではないか?
と私は思っています。

「商売は菩薩の業。
商売道の尊さは、
売り買い何れをも益し、
世の不足をうずめ、
御仏の心にかなうもの」

これは伊藤忠商事の初代、
伊藤忠兵衛が残した言葉で
三方よしの原型だそうです。
ざっくり訳すと
「商売とは、売る人も買う人も幸せにし、
そして世間のお役にも立つ。
まさに仏さまの心を体現する
尊い修行だ。」
という意味でしょう。

江戸時代の士農工商という身分制度の中で、
最も卑しい存在とされた商人たち。
仕事を通じて、
自分たちの存在とその仕事に対する
誇りを証明したかったのかも知れません。

今週も幸せの種を蒔きましょう。
私たちの周りにいてくれる大切な人が
幸せであり続けるように。

To be continued…